Paul Signac(1863−1935)


ポール・シニャックはジョルジュ・スーラと並んで、新印象主義或いは後期印象派を代表する画家です。彼らの絵は点描画とか点描主義とかいわれていますが、両者の技法には微妙な差があります。スーラが微細な点を敷き並べることでイメージを浮かび上がらせるのに対し、シニャックの場合には一つ一つの点は比較的大きく、形も多様です。また、必ずしも点の集合だけで絵を描くことにこだわっていません。

シニャックは、セザンヌの中期の絵に見られるブラシをたたきつけるような手法や、晩年のピサロとの交友を通じて点描画の手法を確立していったものと思われます。点描画とは絵の具を混ぜ合わせることによって色を作り出すのではなく、一つ一つの色を交互におくことで、その組み合わせから色の調和をもたらそうとする手法です。この結果、画面は明るく彩度の高いものとなり、とりわけ水彩画の場合には、高い透明感が得られることになります。シニャックのこのような色彩感覚はマチスに大きな影響を与えました。

シニャックは富裕な商人の子としてパリに生まれました。しかし、父親の死後一家はセーヌ河岸の町アスニエールに移住し、シニックは中学(リセ)を中退してしまいました。アスニエールはスーラの有名な絵グランド・ジャットの舞台となったところで、対岸には工業都市クリシーがありました。

少年時代のシニャックは、画家から個人的な指導を受けたくらいで、組織だった教育を受けることなく、独学で絵を学びました。出発点はモネの絵を習うことにあったようです。19歳のときモンマルトルにアトリエを持ち、また文学サークルと付きあううちにコミュニズムの思想に傾いていったとされています。

シニャックは,1884年に始めてアンデパンダン展に出品し、1886年には点描法で描いた絵を最後の印象派展に出品しました。1891年にスーラが死亡すると、新印象主義のリーダーとして、理論的な分野でも活躍しました。

シニャックが水彩画を描き始めるのは1892年からです。その年、サントロペへ旅行した折、水彩で屋外写生をしたのがきっかけになり、以来水彩スケッチの魅力に取り付かれたのですが、透明感を求める彼にとって、水彩という手段は彼の気質に一致するものだったとおもわれます。

          

これは1899年に描いたサントロペの風景です。一見して感じ取られるとおり、画面は明るく透明感にあふれています。また彩度が非常に高いのも特徴です。色はパレット上で混色した上でウオッシュされるのではなく、純粋の色を交互に並べたり、あるいは軽くオーバーラップさせたりすることで、色の調和を図っています。点描画の手法を水彩に応用した典型的な作品といえます。

          

シニャックは同一のテーマを繰り返し描くことで一連のシリーズを仕上げるのが好きでした。彼のもっとも好んだテーマはセーヌ川とそこに架かる橋です。

これは1910年の作品「ル・ポン・デ・ザール」です。木炭で描いた線を生かしながら、暖色のオレンジと寒色のブルーを対比させることで、絵にダイナミズムを付与しています。
 
               

1914年の作品「松の木」 暖色を基本にした自由奔放なブラシワークが絵に躍動感を与えています。ここでも、暖色は前進し、寒色は後退するという性質を応用しているのです。

          

1920年の作品「ラ・ロシェルの釣り船」 シニャックの後期の水彩画は鉛筆の線をそのまま生かした絵が特長です。また、彼は色の付いた紙に描くこともありましたが、そのような折には、不透明のホワイトをよく用いました。水彩にホワイトを用いるのは、多くの場合邪道とみなされますが、時によっては効果を発揮するものです。
 
          

1931年の作品「バルフルール」 シニャックが晩年に移り住んだノルマンディーの港町バルフルールを描いた作品です。ここでも鉛筆の線を最大限に生かし、それらの間を透明な絵の具で埋めることによって、開放感のある絵になっています。





       


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