アウグスト・マッケー水彩画の巨匠たち



August Macke(1887−1914)


アウグスト・マッケは「青い騎士」の旗上げに関与するなど、ドイツ表現主義の中心にいた画家ですが、その枠内に納まらない大胆な画風を展開しました。友人フランツ・マルクが「ミスター色彩」と評したように、彼の絵は明るく純粋な色彩感にあふれています。27歳の若さで戦死するまで、わずか数年間活躍したのみですが、絵画史上忘れることのできない足跡を残しました。

マッケはドイツ中部(ノルトライン・ヴェストファーレン)の都市メシェーデに生まれました。父親は建設業、母親は農家の出と、芸術とは縁遠い家系でしたが、少年時代から絵に志し、デュッセルドルフのアートスクールで2年間(1906−1908)学びました。

マッケの画業はフランス印象派の技法を吸収することから始まりました。1908年には、後に妻となる女性エリザベート・ゲルハルトの叔父ケーラーの援助でパリに旅行し、セザンヌの絵などを研究しています。1910年にマルクと出会い、マルクを通じてカンディンスキーなど表現主義のグループと知り合うようになりますが、マルクが表現主義の技法にのめり込んでいったのに対して、マッケはむしろ、日常の光景を題材にしながら、豊かな色彩の世界を作り上げようとしました。

1911年ミュンヘンでマチス展を見て、その色彩の豊かさに圧倒されたことがマッケの転機となりました。翌1912年にはパリでキュビズムの画家ドローネーと交流し、キュビズム的手法をも取り入れていきます。これらの体験をもとに、彼の絵は輝くような色彩が織りなす独特の世界を展開し始めました。

1914年、マッケはパウル・クレー、ルイ・モアイェとともにチュニスに旅行しました。チュニスのまぶしい光がクレーに甚大な効果をもたらしたことは別のところで触れましたが、マッケもやはり大きな印象を受け、絵に透明感が増すようになります。しかしクレーがその後ある程度長く生きることができたのに対し、マッケには残された時間が殆んどありませんでした。1914年の夏、第一次世界大戦が勃発するや、マッケはすぐさま前線に送られ、最初の戦闘で命を落としてしまったのです。彼が描きかけのまま残した最後の作品は「さらば」と題されていました。

ところで、マッケがどのような気持ちで戦場に赴いたか、今となっては誰にもわかりませんが、小生にはマッケの死に重ねて、トーマス・マンの小説「魔の山」の結末がしきりと思い起こされるのです。大戦前夜のドイツは、国民国家として統一されて以来半世紀近く経過し、ようやく民族意識が高まりつつありました。そして諸外国との対立は、いやがおうにも若者たちの愛国心を駆り立てていました。このようなナショナリズムに囲まれては、魔の山の主人公のようにノンポリな青年でさえ、抑えがたい衝動に駆られて戦場へと向かっていったのです。トーマス・マンは当代随一のコスモポリタンとして、こうした雰囲気をなかば苦々しげに描いていますが、マッケもまた、そうした衝動に駆られた一青年だったのでしょうか。小生には無論、真相はわかりません。ただ、彼の余りにも早い死を、芸術のために悲しむものです。


             

上の絵は1908年の作品「ミューズ」です。美術学校を卒業して、画家として出発した頃の絵です。


            

1913年の作品「ショー・ウィンドウ」 マッケの全盛期と称すべき時期は死の前年2年間にすぎません。マチスとドローネーの洗礼を受けたマッケは、表現主義のほかの画家たちとは異なり、単純な構図をもとに、豊かな色彩感を演出しようと努めました。
この絵などは、ドローネーのキュビズム的空間配置をもとにしながら、色彩の表現は彼一流のものになっています。絵には明確なラインは現れず、ウェット・イン・ウェトによって濃厚に重ねられた絵の具が、補色の対立を通じて、イメージの輪郭を浮かび上がらせています。


          

1913年の作品「黄色い上着の婦人」 この絵でも、単純化された構図の中に、日常生活のリアリティが現れています。当時カンディンスキーはポリフォニックな抽象画を発表して世界の耳目を集め、また表現主義者たちはますます観念的な作風に傾いていましたが、マッケは表現主義の中心にいながら、非常にわかりやすい絵を目指すようになっていました。この絵は、原色を強調することで、プリズムを覗き込むような光と色のハーモニーをかもし出しています。

  
             

1914年の作品「寺院のホール」 チュニスで接したアフリカの光は、クレーには原色の強調と色彩の透明感という効果をもたらしましたが、マッケにも同じような効果を及ぼしました。この絵は、遠近法を考慮しないデフォルメされた構図がマチスを連想させます。彼の従来の絵には余り見られなかったもので、もしもっと生きていたら、その後の彼の絵の傾向を占うものになったかもしれない作品です。


          

1914年の作品「カイロワン」 チュニジアの古都カイロワンをテーマにしたこの絵は、死の直前に描かれたもので、ラクダを率いた隊商が描かれています。色彩の透明度は一層増し、構図も単純化された中に強いメッセージを発しています。






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