リチャード・ボニントンー水彩画の巨匠たち



Richard Parks Bonington (1802-1828)

リチャード・P・ボニントン Richard Parks Bonington (1802-1828) は、イギリス・ロマンティシズム絵画の後半期を代表する画家であり、イギリスにとどまらず、ヨーロッパ的なスケールで活躍した水彩画家です。

ボニントンが現れるまで、イギリスの絵画はヨーロッパにおいては地方的な扱いを受けていました。ターナーのような画家でも、一流の画家には入れてもらえなかったものです。ボニントンはイギリス絵画の伝統を踏まえながら、パリで活躍したこともあり、イギリスの絵画の魅力をヨーロッパの美術愛好家に納得させる働きを果たしました。

ボニントンは水彩画家として、水彩の魅力をヨーロッパ人に認めさせました。水彩の持つ透明感と、そこにあふれる光と影の織りなすコントラストが、清新なイメージをもたらしたのです。また、ボニントンはイギリス絵画の伝統である風俗画を多く描きましたが、これは古典主義の教義に金縛りになっていた当時のヨーロッパ絵画には見られぬ新鮮さを持っていました。

ボニントンはわずか25歳の若さで亡くなりますが、彼の残した足跡は、水彩画の歴史の中でも輝かしいものがあります。

ボニントンはイギリス・ノッティンガムの画工の子として生まれ、父親から絵の手ほどきを受けました。11歳のときに早くも、リヴァプールの美術学校に作品を展示しています。

15歳のとき、一家はフランスのカレーに転居しました。そこでボニントンはルイ・フランシアに絵を学びます。フランシアはフランス人ながらイギリスで絵の修行をし、トーマス・ガーティンやジョン・ヴァーリーとともに学んだ間柄です。このフランシアから、ボニントンはイギリスの伝統的水彩画技法を学びました。

16歳のとき、一家はパリに移ります。パリでボニントンはウジェーヌ・ドラクロアと出会い、アントアーヌ・グロのアトリエやパリ美術学校で絵を学びます。

24歳のとき、ボニントンは有名なパリのサロンで、ジョン・コンスタブルとともに金メダルを獲得しました。それ以降、彼は売れっ子になり、絵は飛ぶように売れました。

コンスタブルの真骨頂は風景画や風俗画にあり、彼は画題を求めて各地を旅行しましたが、3度目のロンドン旅行に出かけた1828年、結核の発作を起こして、その短い生涯を閉じました。


          

上の絵は、1921年の作品「ル・アーヴル港」です。ガーティンの技法を受け継ぎ、光と影のコントラストの中に空気の存在を感じさせる絵です。背景の寒色と前景の暖色のコントラスト、のびのびとした筆遣いが絵に風格をもたらしています。また、要所に人物を配しているところは、単なる風景画に留まらない、風俗画としての特徴を付加しています。


          

           1826年の作品「サン・モリッツの橋と教会」

ボニントンは、今でいうなら風景写真の需要に応える多くの風景画を作りました。それらの絵はリプリントされて、旅行ガイドなどを飾ったものです。この絵は、ボニントンの代表作ともいえるもので、アルプスを紹介するガイドブックには必ずといって用いられたものです。ボニントンはここでも、風景の中に、人影や動物を添えることによって、暖かいイメージ作りに努めています。


               

               1826年の作品「ボローニャの斜塔」

ボニントンはイタリア旅行を通じて、おびただしい数のスケッチを残しました。彼のやり方は、現場でのスケッチを元に、アトリエで仕上げるというものでした。風景は形そのままに再現されるのではなく、画家の内なる目の中で再構成されています。輪郭は重視されず、風景全体のムードを重んじいます。こうした態度は、後に印象主義の絵に大きな影響を及ぼしました




          
       

       東京を描く水彩画水彩画の巨匠たち