トーマス・ガーティンー水彩画の巨匠たち



Thomas Girtin(1775-1802)


ガーティンは27歳の若さで亡くなりましたが、ターナーと並んでイギリス水彩画の基礎を築いた画家として評価されています。

14歳で伝統的な地誌的風景画を学び始め、19歳の年にはローヤル・アカデミーの展覧会に出品しています。その後、マンローのアカデミーに寄寓しますが、そこで、同年齢で生涯の友人となるターナーと出会います。

24歳の時に英国スケッチ協会を立ち上げるなど、活動的な面もあったようです。イギリス各地を旅行しては風景スケッチを描き続け、26歳の時にはロンドンの街を360度に展開して描いた油絵ーエピドメトロポリスーを完成させていますが、これは生活資金を稼ぐためだったといわれ、生涯を通じ水彩風景画家として通しました。死因は喘息発作でした。


             

ガーティンは地誌的風景画の伝統から出発しましたが、早いうちから独自性を発揮しました。それは、光への着目です。ガーティンは対象の向こう側から差しこむ斜めの光と、それが対象にもたらす深い影を強調することで、画面に独自の雰囲気を付与しました。この絵に見られるように、技法的には明暗対比を強調しながら、光を演出しています。この技法はターナーにも強い影響を与えたとされています。


           

ガーティンの技法のもうひとつの特徴は構図の取り方にあります。それまでの地誌的風景画と異なり、ガーティンは水平線を強調することで、背景としての空と前景としての風景を強いコントラストのうちに置きました。こうすることで、風景画に広々とした空間感覚を導入したのです。


           

ガーティンは親友ターナーとの交流を通じて、水彩画の技法を発展させましたが、道半ばにして倒れ、ガーティンの残したものは、水彩画の遺品ともどもターナーに引き継がれることになります。


           
           

この絵はモルヘス橋と題され、ガーティンの代表作とされるものです。明暗対比による光の演出が高度な完成に達しています。

晩年、ターナーは自分の生涯を回想しては、よくガーティンを思い出したといいます。そして、もしガーティンが生きていたら、自分は彼の後塵を拝し続けていただろうと謙遜しています。ターナーの死後、彼によって保存されていたガーティンの絵は、ターナーの作品ともども王立博物館に寄贈され、現在ではテートコレクションの中核をなしています。




       

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