エドワード・ホッパーー水彩画の巨匠たち



Edward Hopper(1883−1967)


エドワード・ホッパーはアメリカンリアリズムを代表する画家であり、また水彩画家として高い評価を受けています。アメリカは世界中で最も水彩画の盛んな国ですが、その伝統の中でホッパーの果たした役割は非常に大きかったといえます。今日では都会の中の孤独を描いた多くの油絵で知られていますが、生前はむしろ水彩画家として有名でした。

ホッパーはニューヨーク州の小さな町ナイアックで生まれ、1900年から7年間ニューヨーク美術学校に学び、写実派の画家ロバート・ヘンリーの影響を受けました。広告用イラストを描きながら生計を立てる傍ら、1906年から10年にかけ、3度ヨーロッパを訪れています。当時のパリは絵画史上特筆すべき時期でしたが、ホッパーは新しい潮流から何も得るところがありませんでした。彼の本領はリアリズムにあり、抽象的な絵画には反発さえ感じたのです。

ホッパーはなかなか成功に恵まれず、1920年に開いた初の個展では、一枚も売れないという有様でしたが、40歳のときに水彩画製作に転じ、1924年に水彩画の個展を開いたところ、すべて売り切れという大成功を収めました。それ以来ホッパーは約10年間、水彩画家として活躍します。

ホッパーは42歳のとき、二つ年下の女性ジョー・ノヴィソンと結婚します。ホッパーの絵に出てくる殆んど全ての女性像のモデルとなった人です。ホッパーは時に激しくぶつかり合ったこの女性を深く愛し、二人で車に乗ってはアメリカ中をスケッチ旅行したものでした。


          

上述したように、ホッパーの水彩画作品の大部分は40歳代の10年間に描かれました。その殆んどは風景画です。彼の好んで描いた対象は、ニューイングランドの古い建築物、灯台と海、そしてアリゾナやニューメキシコの寒村の風景でした。

これは1923年の作品「マンサード・ルーフ」彼の水彩画の中でも最も有名なもののひとつです。絵の具の種類を少数に抑え、明暗対比を強調して、古い建物の雰囲気が生かされるようコントロールしています。ウィンズロー・ホーマー以来のアメリカ水彩画の伝統を踏まえた作風といえます。


          

1927年の作品「コーストガード・ステーション」広い自然の中にぽつんとたたずむ建物のイメージは彼の最も好んだモチーフです。彼の絵の殆んどには人間が描かれていませんが、建物をクローズアップすることで、その中に住んでいる人間の息遣いを伝えようとしたのかもしれません。


          

1927年の作品「ポートランド・ヘッド」灯台や海上のヨットも彼の好んだモチーフで、油彩画作品にも多く取り上げています。


          

1928年の作品「プロスペクト・ストリート」ニューイングランドの小都市グロスターの町を描いた作品です。


          

ホッパーは水彩画家として成功し、経済的に楽になったのを契機に、イラストレーターの仕事から解放され、創作に没頭できるようになりましたが、50歳を超えてからは油絵を描くようになります。しかし、彼のリアリスティックな作風は時代遅れのように扱われ、生前は油彩画家として評価されることはありませんでした。

リアリズムの手法の中にも、人間の孤独や精神性を感じさせる彼の絵が、積極的に受け入れられるのは死後のことでした。

上の作品は晩年の一時期息抜きのつもりで描いた作品と思われます。(1943年 サティーヨ・マンション)





       


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