J.M.W.ターナーー水彩画の巨匠たち



J.M.W.Turner(1775-1851)


J.M.W.ターナーはイギリスの美術史上最も偉大な画家とされています。風景画家として、イギリスやヨーロッパ大陸の風景を油彩や水彩で描き、それぞれが高い評価を受けていますが、とりわけ水彩画の分野において卓抜した業績を残しました。今日の水彩画家の用いているテクニックでターナーが用いなかったものはないといわれるほど、水彩画の技術の発展にも寄与しました。

ターナーは小さい頃から絵がうまく、床屋であった父親は息子の描いた絵を店の壁にかけて自慢したほどでした。14歳でローヤル・アカデミーの美術学校に入り、当時流行していた地誌的水彩画を学びました。また、19歳から23歳にかけてトーマス・モンローのアカデミーで修行を積み、ここでトーマス・ガーティンに出会い、互いに影響しあったとされています。

ターナーは20歳台で画家としての地位を確立しました。ヨーロッパの長い美術史のなかでも、特定のパトロンの庇護を受けるのではなく、大衆向けの美術市場を通じて高い収入を得るにいたった最初の画家です。ターナーは自分の絵を陳列するためのアトリエをロンドン市内に設け、裁ききれないほど多くの注文を受けたといいます。

ターナーは、画題の収集のためイギリス国内はもとより大陸方向にも何度も足を運び、膨大な数のスケッチを残しては、後でそれらをもとに油彩画や水彩画を仕上げていきました。ターナーの記憶力は並外れたもので、対象の印象を細部まで再現することができたといわれています。

ターナーの才能は水彩画の分野でよく発揮されました。油彩画も決して低い評価ではありませんが、水彩の技法を以て油絵を描いたとされるほど、水彩画家としてのイメージが強い作家です。

ターナーは75年の生涯の中で、1800点の水彩画作品と10000点にのぼるスケッチ類を残しました。その殆んどはイギリスやヨーロッパの風景を描いたものです。地誌的風景画から出発し、晩年には形態や色彩の調和にこだわらない自由奔放な画風へと変化していきます。いわば絶えず進化する画家であったわけです。


          

ターナーの初期の絵は僚友トーマス・ガーティンのものによく似ており、また当時の地誌的水彩画の技法からたいして外れたものではありませんでした。しかし世紀を越え20歳代後半になると、その画風には大きな変化が現れます。ターナーは油彩画の技法を水彩画に適用し、メリハリのあるドラマチックな水彩画を描くようになります。ひとことでいうと、明暗対比の強調によるコントラストの激しい絵です。上の絵はその典型例ですが、明暗の対比によって絵にメリハリが生じていることがよくわかります。ターナーは明暗を強調するため暗色にアラビアゴムを加えたり、ひっかきやこすりの手法によってハイライトを演出する技法を用いています。また、ウェット・イン・ウェットの手法を意識的に用いました。これらの技法に耐える紙としては、当時ワットマン社が、ゼラチンを用いてサイジングした強靭なリネン・ペーパーを発明していました。


          

ターナーは1819年にイタリアへスケッチ旅行しましたが、これが契機となって彼の絵には再び大きな変化が生じます。南欧の明るい光が、絵における光の重要性を目覚めさせたのです。明暗対比によるそれまでの絵に代わり、光を強調した明るいイメージの絵が多くなります。コントラストも今までのように激しいものではなくなり、全体に落ち着いた画風に変わりました。上の絵はイタリア旅行中に描いた小品ですが、ターナーの転機を象徴する絵だといわれています。


          

光の効果に魅了されるに従い、ターナーは画面の色調を透明度の明るいものにする工夫に没頭します。彼のパレットは透明度の高い色によって占められ、彼の好んだ黄色をベースとした下塗りの上に、赤、オレンジ,ピンクと言った暖色を重ねるようになります。そしてコントラストを出すためには、ウルトラマリンといった透明度の高い補色を用います。上の絵は、1825年に描いたリッチモンド城の絵ですが、暖色をベースに水彩特有の透明感がよく発揮されています。


          

晩年のターナーは色彩にこだわる余り、形態については意を払わなくなりました。彼の絵は次第に抽象的なものに傾いていき、その結果美術市場での人気は衰えていきますが、絵は深みを増すようになります。1834年に、国会議事堂が炎上する事件がおきていますが、ターナーは早速現場に赴き、炎に包まれる議事堂の様子を、水彩、油彩、両方で描いています。水彩で描いたものは、炎の強さを強調して、形態には殆んど考慮を払っていません。ウェット・イン・ウェットの手法により、流れるような光のイメージをドラマチックに実現しています。


          

上はターナー最晩年の作品です。(ブルー・リージ 1845)ターナーの水彩画最高傑作ともいわれている作品です、彼のたどりついたひとつの到達点を示しています。





       


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