John Sell Cotman(1782-1842)


ターナーやコンスタブルなど19世紀初頭のイギリスに活躍した画家たちの画風を総称してイギリスロマン主義ということがあります。ロマン主義とはもともと文学の分野について用いられた概念で、同時代の詩人たちーワーズワース、バイロン、シェリー、キーツーの作風を総称したものです。従来の古典主義が様式の美を重視したのに対し、人間の内面や情熱を前面に押し出す作風が特徴です。

ジョン・セル・コットマンはターナーよりやや遅れて生まれ、ターナーより先に亡くなりましたが、イギリスロマン主義を代表する画家の一人といわれています。少年の頃から絵が好きだったコットマンは16歳の時にロンドンに出て、絵の修行を始めました。数年年長のガーティンとも交友があったようで、初期の絵にはガーティンの影響が見られます。画家として成功し、ロンドン大学キングズカレッジの美術教授にまでなりましたが、晩年には精細を欠くようになり、誰にも注目されることなく、60歳を前に亡くなりました。しかし、20世紀に再発見され、一時はターナーをしのぐほどの名声を得ます。


          

          
コットマンの初期の絵は比較的暗いトーンの中で明暗のリズムをつけるものが多く、グレー系の色で下塗りをした上にウォッシュを重ねています。これはノリッジ派の先輩画家ジョン・クロムの影響によるものです。ノリッジ派は英国の水彩画史上ユニークな存在で、20世紀になってコットマンが再評価される際の原動力ともなった流れです。

しかし、二十台半ば以降のコットマンの絵は、透明性の高い、明るい色調のものに変化します。上は、1806年に描かれた「グレタ橋」という絵ですが、画面が全体に明るくなり、光を感じさせるものになっています。


                

コットマンの技法を特徴づけるものに、コントラストの強調により明るい対象を際立たせる手法があります。「グレタ橋」にも見られるように、コットマンは明るい部分の周囲を暗く塗ることによって、主題となる対象を浮かび上がらせる効果を狙いました。

上の絵は1806年に描かれた「ドロップゲート」という絵ですが、エッジを注意深くコントロールしながら暗部を暗く塗ることによって、主題となる柵の部分の一本一本をくっきりと浮かび上がらせています。


               

「グレタ橋」で確立した技法により、コットマンは風景や建物などを描いた明るい水彩画を次々と発表します。上の絵などはコットマンの代表作とされるものです。

コットマンはまた、エッチングの分野でも成功をおさめ、数多くの作品を残しました。


          

晩年のコットマンは持病の鬱病が悪化し、そのためか作風も再び暗いものへと変化しました。メディウムにライスペーストを用いることによって、油彩画のような効果を得ようとしますが、その結果水彩画の長所である透明性を失うに至りました。





       

            東京を描く水彩画水彩画の巨匠たち

                       

ジョン・セル・コットマンー水彩画の巨匠たち